政治のかたち

 

 
 
 

 <時事通信平成11年> 

 
  市民の意識に応じた政治しか持てないと、半ばあきらめたような言い方をされることが多い。例えば個々の利益を求める市民や団体があって、それに応える政治がある。こうした図式が一般的であるが、しかし、それではあまりに寂しい。短期的には一部の利益になっているように見えるかもしれないが、結局それは予算のぶんどり合戦を引き起こしているに過ぎない。限られた予算を公平に優先順位を決めて使う必要があるのに、こんなことを続けていたら、取り返しのつかないいびつな社会になってしまう恐れがある。現実はその状態に近いのかもしれない。極論すれば、ぶんどり合戦をするくらいなら政治はいらない。このことを政治の側から勇気を持って発言していく必要がある。その時期がそろそろ来ている。市民をもっと信じるべきである。負担を求める場合も含めて本音でオープンに語りかけ、堂々と議論すべきである。市民のレベルが政治を決定する、確かにそうかもしれないが、そのレベルは決して悲観するものではないという実感がある。市民一人ひとりと膝を交えて話をしてみて、意識の高い人が多いことに気がつく。この人達の持つ一般常識が通用する政治にする必要がある。
  徳島の住民投票が話題になっている。住民の意思がどうあろうと安全のために必要なものはやるべきであるとか、間接民主主義を否定するものであるとかいう意見があるが、十分な議論がなされた上での住民投票の結果は、主権者である住民の最終意思であり、法的にはともかく、政治的には最大限に尊重されなければならないものである。我がまちには、住民投票の制度はまだないが、地域の将来を決める重大な意思決定をする際には有効な方法となろう。
  市民が参画し、ともに手を取り合ってまちづくりが行われる、新しい政治のかたちであろう。
  
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