有事法制を考える

「近隣の信頼欠けば法は無駄」


 
 

 <平成14年5月5日朝日新聞> 


 

 わが国が武力攻撃を受けた場合などに対応する法制度を整備することは必要なことであり、むしろ遅いくらいである。もちろん、「有事」の認定や、自衛隊などが軍事行動をする場合の国民の権利の制限などの要件は厳格にすべきである。また、今回は見送られた国民の避難誘導などに関する措置やテロ、不審船などへの対応についても早急に具体化すべきであることは言うまでもない。こうした点についてはまだ多くの意見があり、国会審議を通じて議論を尽くしていただきたい。
 安全保障に関する政策の選択は、基本的には国政の問題である。地方としては、有事の際に国の指示があれば、国民全体の安全を守るために協力することはやぶさかではない。しかし、その前提として、国の指示内容が説得力のあるものでなければならない。一方で、住民の生命や財産を守ることは自治体の首長としての責任である。特に基地を抱える身としては、国際情勢の変化に大きく影響される不安を常に抱きながら、住民の生活や安全がいたずらにおびやかされることがないよう、必要があれば国に対してものを言うし、最終的には自らの良心、信ずるところに従って行動することになる。
 わが国の安全を考えた場合、今回の有事法制だけで足りるわけではなく、周辺地域や東アジア近隣諸国における紛争への対応が重要になる。すでに周辺事態法などにより、こうした事態に備える仕組みは整いつつあるように見える。しかし、いずれも後方地域で輸送や補給などの支援を行うだけである。実際の紛争が始まった場合に、戦闘行為と後方支援を明確に区別することが果たしてできるだろうか。アフガニスタンでの戦争に際し大慌てでインド洋に自衛隊を派遣したが、万が一、現地で実際に戦争に巻き込まれたらどうするのであろうか。
 戦争をするのかしないのかという憲法との関係で根本的な部分をあいまいにしたままで、その場しのぎの対応をしてきている。結果として、緊急の事態に機敏に対応できず、貢献してもあまり評価されない。そこには、平和を守るために何をなすべきかという根本的な理念がなく、外国から見ても、国民にとっても日本の顔が見えず、わかりにくい。
 憲法9条の戦争放棄という世界にまれな理念を国民的な合意として継承していくとするならば、それを前提にして、日本有事を含め、近隣諸国や世界中で紛争が発生した場合にどのような形で国際的責任を果たそうとするのか。一切のタブーを排して真剣に議論し、内外に明確な方針を示すべきである。国民の生命財産を守るための、政治の大きな責任であろう。
 そして、軍事力よりも何よりも、近隣諸国との友好信頼関係が大切であることは言うまでもない。一刻も早く過去の不幸な歴史を清算し、未来に向かって建設的な関係を築き、アジアの安定と平和のために指導的役割を果たすべきである。それが日本の安全保障の一番有効な方策である。隣人との信頼関係なくして、いくら完璧(かんぺき)な有事法制を作っても無駄である。
 相次ぐ不祥事により、国全体を政治不信の波がおおい、民主主義の土台が揺らぎ始めている。日本の将来を決める安全保障に関する基本理念について国民を巻き込んで本音で議論することができる環境が整っていないのが気にかかる。
   

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