古い政治はもういらない


 
 

 <平成14年3月25日毎日新聞「発言席」> 


 
 
 口利き、あっせん、脱税、圧力・・・政治家本人や秘書・元秘書による不正事件が、このところ連日のようにマスコミをにぎわしており、政治と行政の関係があらためて問い直されている.
 手法の違いや程度の差こそあれ、こうした事件はこれまでにも枚挙にいとまがないほど繰り返されてきた。口利きやあっせんについて言えば、政治の世界においては与野党を問わず、やむを得ないことと思われているようである。この種の仲介行為を取ったら後に何も残らない「政治家」さえいる。
 「選挙に落ちればただの人」という言葉に象徴されるように、本来は政治の場に出る手段であるべき選挙がいつの間にか目的になってしまっている。選挙のための票や資金を稼ぐために、行政に圧力をかけ特定の人や団体に特別の利益を図ることが当たり前のようになってしまった。これが政治であろうか。断じて違う。
 政治の目的は、単に選挙に勝つことではなく、選挙区や選挙民の枠を超えて常に国民全体の幸福、国全体の発展を考え、その理念と政策を実現することにある。
 もちろん、三権分立の中で、立法府は国民の代表であり、国権の最高機関として行政に優先する。しかし、優先するのは国会という機関であり、議決という形でその意思が確定したときに、それが行政に優先するのである。
 間違ってはいけないのは、議員一人ひとりが偉いわけではないということ。「先生」と呼ばれ、この点を勘違いしている人が多いのではなかろうか。行政の毅然たる姿勢が必要なことは言うまでもないが、議員が行政に不当な圧力をかけるなどもってのほかである。
 よく政治主導と言われるが、政党が選挙に勝ち、総理大臣が内閣を組織し、各省庁に大臣を送り込み、与党の理念や政策を実現するために行政を動かす。これが政治主導である。
 議員が、役所に乗り込み、思うままに動かすことが政治主導では決してない。
 先にあっせん利得罪ができた。そして、新たな不祥事が起こり、その改正が論議されている。もちろん、法制度を整備することは必要であるが、当面を糊塗するというやり方ではなく、現在の政治の手法を根本から改革すべきであるという認識に立って、あるべき行政と政治の関係を規定する法制度をつくりあげるべきではないだろうか。
 すなわち、すべての行政行為に対する議員の介入を禁止すること。もちろん、本人だけでなく、秘書・家族・関係者すべてを規制の対象にすべきである。これにより、政治活動が制約されるという反発が必ずあろうが、そもそもこうしたたぐいのことは政治活動とは言えない。むしろ制約された方がいいのでは。
 さらに、法律によってすべてに網をかけることは不可能だろう。政党の厳しい自己規制が必要であることはもちろんだが、何よりも政治家一人ひとりが自らに厳しくあることが肝要だ。身を厳しく律せずして、口でいくらきれいごとを言っても誰も信用しない。
 不祥事が発覚した際の「妻が、秘書が・・・」という弁明は見苦しい限りである。煙が立ち、信を失えば、言い訳などせず、ただちに職を辞する覚悟を持つべきではないか。
 経済も社会も自信を失い、さまよっている。一刻の猶予もできない非常事態と言っていい。今まさに困難を乗り越え新しい時代を切り開くため、一致結束して日本の構造改革に当たるべきとき。改革の障害となるような旧態依然とした「政治」は不要である。
   
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