風(20)

<平成13年2月15日号>

日米の世論調査によると「自国の政治に国民の意見は活かされているか。」という問いに対して、活かされていると答えた人は、日本が10%であるのに対して、米国は75%と全く対称的な結果を示した。同じ民主主義、自由主義の国であるにもかかわらず、どうしてこんなに大きな違いが出てしまうのであろうか。もちろん、歴史や文化の違い、国民性の違い、あるいは最近世界中の注目を集めた大統領選挙の方法、全国民が参加し自分たちの大統領を選ぶことができるということもこの違いに影響しているのであろうが、それだけでは説明しきれないものがあるように思う。表面的な仕組みは民主主義であっても、その中身が大きく違うのではないか。

最近またまた汚職により国会議員が逮捕され、現職大臣の一人も疑惑を追及されている(例によって、秘書の責任であると主張しているが、辞職も時間の問題と思われる)。こうした報道を聞くにつけ、「またか」と思うのは私だけではあるまい。中央、地方、また政党などの所属を問わず、日本の政治にはこうした体質がまんえんしており、時々目に触れる事件はその氷山の一角に過ぎないのでは。それが拭いがたい大きな政治不信につながっている。まず自らの身の回りをきれいにし、発言と行動に誇りと責任を持ち、政治家個人として国民の信頼を受けることから始めるべきである。このことなくして、政策や日本の将来を語る資格はないと思う。

ある女性達との懇談会で。「75才以上の高齢者は市営バスが無料であるが、赤字続きであり料金を払いたい」、「自らの経験を活かして社会の役に立ちたい」、「今までは選挙に無関心であったが、今後は自分で判断して選びたい」などの意見が出る。また、生涯学習推進大会で広島の60才以上の高齢者ばかりの楽団「もみじ」がはらはらさせながらも懸命に演奏。こうした自ら「行動」する姿勢に接することが何よりうれしい。